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建武の新政と南北朝の動乱をわかりやすく解説します。
目次
1 建武の新政(けんむのしんせい)
後醍醐天皇(ごだいごてんのう)は、朝廷に政治の実権を取りもどそうと、幕府を倒す計画を進めた。
1333年 河内の豪族楠木正成、有力御家人(幕府の家来)の足利尊氏や新田義貞などを味方につけ、鎌倉幕府をほろぼした。
1334(建武元)年 後醍醐天皇は、天皇中心の新しい政治を始めた。これを建武の新政(けんむのしんせい)という。
後醍醐天皇は、幕府を倒した武士への恩賞が不十分な上に、貴族を重視する政策をとった。
1335年 足利尊氏(あとかがたかうじ)が、武士の政治の復活をよびかけ兵をあげると、新政は2年ほどでくずれた。
足利尊氏は、京都に新たな天皇を立てた。 = 北朝
後醍醐天皇も、吉野(奈良県)に逃れた。 = 南朝
この2つの朝廷の争いが続いた60年を南北朝(なんぼくちょう)時代という。
2 南北朝の動乱(どうらん)
1338年 足利尊氏は、征夷大将軍に任命されて、京都に足利氏の将軍を中心とする幕府を開いた。→ 室町時代
- 将軍の補佐役として管領(かんれい)を置いた。
- 関東地方を治めるために鎌倉府(かまくらふ)を置いた。自分の子を長官(鎌倉公方)にした。
- 守護(しゅご)に強い権限をあたえた。→ 守護大名(しゅごだいみょう)に成長していった。
1378年 3代将軍足利義満(あしかがよしみつ)が、幕府を室町(むろまち)に移した。→ 室町幕府
足利義満(あしかがよしみつ)のイラスト
1392年 足利義満は、南北朝を一つにした。= 南北朝の合一(ごういつ)
さあ、基礎・基本の用語をしっかり覚えましょう。
◎ 基礎・基本の用語
〇 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)
〇 建武の新政(けんむのしんせい)
〇 南北朝(なんぼくちょう)時代
〇 足利尊氏(あとかがたかうじ)- 室町時代
〇 管領(かんれい)- 将軍の補佐役(ほさやく)
〇 足利義満(あしかがよしみつ)- 室町に移す
👉南北朝時代の南朝と北朝は、どちらが正統か?
☆ ふり返り
◇ ①~⑥に当てはまる言葉を答えなさい。
1 (②)
1334(建武元)年 (①)は、天皇中心の新しい政治を始めた。これを(②)という。
足利尊氏は、京都に新たな天皇を立てた。 = 北朝
後醍醐天皇も、吉野(奈良県)に逃れた。 = 南朝
この2つの朝廷の争いが続いた60年を(③)時代という。
2 南北朝の動乱(どうらん)
1338年 (④)は、征夷大将軍に任命されて、京都に足利氏の将軍を中心とする幕府を開いた。→ 室町時代
〇 将軍の補佐役として(⑤)を置いた。
1378年 3代将軍(⑥)が、幕府を室町(むろまち)に移した。→ 室町幕府
💮 答え
① 後醍醐天皇(ごだいごてんのう)
② 建武の新政(けんむのしんせい)
③ 南北朝(なんぼくちょう)時代
④ 足利尊氏(あとかがたかうじ)
⑤ 管領(かんれい)
⑥ 足利義満(あしかがよしみつ)3代よしみっつ!
👉南北朝時代の南朝と北朝は、どちらが正統か?
答え 南朝
※ 明治天皇の裁断で、三種の神器を所有していた南朝が正統であるとされる。
南北朝時代は、日本に天皇が2人おられた複雑な時代ですね。これで基礎学力バッチリです。