450 自分の役割を知る「二つの絶対」

パワーフレーズ
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グリーンバックの前で微笑むスーツ姿の就活生、広報メディア学科の大学三年生

1 今日のパワーメンターと著書

オザビエル

今日は、オザビエル(私)が、

霊能者

木村 藤子(きむら ふじこ)さんの著書

『幸せを呼び寄せる30の「気づき」』から学んだ

幸せを呼び寄せる

「パワーフレーズ」をお届けします。

2 人間には、二つの絶対があります

人間には、二つの絶対があります。

 

一つは、

誰もが生まれた瞬間から死に向かって進んでいるといるということ。

寿命の長さには差がありますが、誰もが自分に与えられた寿命を全まっとうし、

現世での修行を終え、旅立っていくことになっています。

 

寿命に関して、神の視点から一つ申し上げれば、

長生きをしたから幸せだ、ということはありません。

どんな場合でも、その人が死の世界に旅立っていったなら、

現世でするべき務つとめを立派に終えたということなのです。

病気で長いこと苦しんだ末に、お亡くなりになったり、

朝まで元気だった小さな子供が事故でこの世を去ったり、

どんなは愛でも近しい人が亡くなるのは、

遺のこされた側にとって辛いものです。

しかし、その悲しみは、遺された方には大変酷こくな表現ですが、

「遺された者の感情」であって、

決して「死んでいった人が遺していった感情」ではありません。

人間は、輪廻転生を繰り返しています。

ですから、前世で自らが行ったことが現世に大きな影響を及ぼしていて

自分の力ではどうしようもないことが起こりえるのです。

 

そしてもう一つは、どんな人でも、この世に生を受けたということは、

「誰かの子供」であるということです。

 

兄弟がいない、従姉妹いとこや親類と呼べるような血の繋つながりを持った人もいない、

子供を持たずに年老いた場合でも「両親」が存在しなかったということはあり得ません。

生まれてすぐに何らかの理由で実の両親と生き別れ、一度も生みの親に会ったことないとい言う人にも、必ず自分を生んでくれた母親があります。

 

それは、あなたが命の繋がりの中に存在しているということを示していて

それ自体がカルマの一つでもあるのです。

カルマの繋がりが自分に合う(自分の前世の行いに合うカルマを求めて)

母親のお腹に入るわけです。

 

あなたが、たとえ今どんなに孤独であったとしても、

命の繋がりによって生を受けた以上、

人とはまったく繋がらずに生きていくことはできません。

 

こうやって星の数ほどある書籍の中から、

この本を選び、読んでくださっているのも、

私とあなたの間に、目には見えない繋がりが何かしらあったからです。

 

3 高校教師をしている若い男性が「生き別れた母親に会いたいのだが」

私のもとに、

「生き別れた母親に会いたいのだが、迷惑がかかっては困る。

現在、母は存命ぞんめいなのか、また会うことはできるのかを視みてほしい」と、

高校教師をしているという若い男性が訪たずねてきました。

6歳の頃、祖母の家に預あずけられたまま、

実母とは音おん信しん不ふ通つうになっていたのですが、

一昨年、祖母そぼが亡くなった際に、母の住所とともに、

母が、知らない男性と一緒に写った写真が出てきたとのこと。

 

彼の言葉からは、母に対する恨うらみや邪心じゃしんは感じられず、

ただただ、心の底から母に会いたいと思う愛情があふれていました。

 

ところが残念なことに、私に視えたのは、母親の死の知らせです。

ほんの少し前に、不ふ慮りょの事故で母親が亡くなったことを伝えました。

「残念ですが、これで諦あきらめもつきました。

祖母の墓前には自分から報告します」と、

悲しみに堪えながら、自分を納得させ、帰って行く彼の背中を見ながら、

「きっときっと、近々『縁えん』を感じる出会いがありますよ」と、

私は、神から聞いていた言葉を、彼に伝えました。

 

それからしばらく経ったある日、

その相談者の男性から、一通の手紙がありました。

その手紙には、彼の高校に季節外はずれの転校生がやってきたこと、

その生徒に母の面影おもかげを見たこと、そして調べてみると、

その生徒こそが、父親の違う実の弟であったことが分かった、との

うれしい知らせでした。

データ分析の成果を提示する女性アナリスト

4 時と場合によって、その役割や立場は変化するのだということを理解する

両親の子供としての自分、社会人としての自分、父母としての自分、

ご近所付き合いにおける自分、友達としての自分など、

人との繋がりの中で、あなたは無意識に日々、一刻一刻、

さまざまな役割をこなしているのです。

その時々によって、自分の顔を使い分け、ある立場に担っているときに、

どんな振る舞いをしなければならないのか、そして今そうしているか、

それをもう一度考えてみましょう。

 

人と人との繋がりは、一つの枠わく組みで片付けられるほど、

単純なものではありません。

たとえば、夫と妻という例で考えてみると、ひと言で夫婦と言っても、

純粋な男女としての繋がりが強調されることもあるでしょうし、

あるときは、社会の中での一つの単位として、

役割を果たさなければならないこともあるでしょう。

子供ができれば、父と母としての繋がりも出てくるでしょうし、

一つの家の中で生活をともにする、

共同生活者としての礼儀を持たなくてはいけない瞬間もあります。

「家族だから何でも分かってくれるだろう」という思い込みから、

自分と相手の距離を見間違うことは、大変に不幸なことです。

 

会社で上司として役割を担っているならば、そこでは部下に対して、

仕事上の厳しさを教えなくてはいけないこともあるでしょう。

しかし、いったん仕事という枠組みを外はずせば、

同じ部下に対しても、人生の先輩として、

優しく相談に乗ってあげることもできるかもしれません。

 

同じ人間との関係でも、時に場合によって、

その役割や立場は変化するのだということを理解している人は、

自分の気持ちを、柔軟に、相手に寄り添わせていくことができるので、

人間関係で大きなトラブルを抱えることがありません。

 

では、自分が一番身近に思っている人と自分の関係性を、

思いつくだけ挙げてみてください。

5 オザビエルの願い

オザビエル

今日の学びは、

 

〇 人間には、二つの絶対がある。

  1. 一つは、誰もが生まれた瞬間から死に向かって進んでいるといるということ。
  2. そしてもう一つは、どんな人でも、この世に生を受けたということは、「誰かの子供」であるということ。

〇 同じ人間との関係でも、時に場合によって、その役割や立場は変化するのだということを理解する。

 

前世のことをよく覚えていないので、今世の自分の役割を冷静に理解し、遂行していくことは、至難の業わざです。

今世で、初めて体験することばかりですが、よく楽しみながら、さまざまな役割をこなしていきましょう。

出典 『幸せを呼び寄せる30の「気づき」』 木村 藤子(きむら ふじこ) 発行所 新潮社 画像はヤフー検索から

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