159 幸せというのは、「今、自分が置かれている日常そのもの」

パワーフレーズ
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1 今日のパワーメンターと著書

オザビエル

今日は、オザビエル(私)が、

心理学博士

小林 正観(こばやし せいかん)さんの

『100%幸せな1%の人々』から学んだ

幸せの本質を知る

「パワーフレーズ」をお届けします。

2 幸せというのは

中経の文庫<br> 100%幸せな1%の人々

「あれもほしい。これも足りない」と言って、

ずっと何かを求め続けている人がいます。

でも幸せというのは、「今、自分が置かれている日常そのもの」です。

「何も起きないことが、どれほど幸せであるか」ということに、

私たちは、なかなか気がつきません。

毎日が、淡々と平凡に過ぎていくことが、実は幸せの本質である。

 

幸せというのは、何か特別のことが起きることではありません。

それどころか、「何も起きないことが、幸せの絶対的な本質」です。

幸せとは、よいことが起きるとか、楽しいことが起きるのではなくて、

自分にとって、いわゆる面倒めんどうなこと、大変なこと、汗をかかなくてはいけないこと、神経を使わなくてはいけないことが何も起きないこと。

それこそが最大の奇跡です。

 

ところが幸せの本質を知らないまま、

「どこかに幸せがあるにちがいない」と言って、自分を叱しっ咤た激励げきれいし、

「もっと私がひたすら努力して成長すれば、幸せが手に入るんだ」

と思いながら、生きている人が多い。

でも結論を言ってしまうと、

幸せというのは、「努力をしたら手に入るもの」ではありません。

人間は、病気や事故、トラブルなどに巻き込まれたときにはじめて、

自分が幸せの中で生きていたことを知ります。

 

たとえば、右手が捻ねん挫ざして使えなくなった、とします。

全治2週間。

電話ができないとか、お箸はしが持てないとか、

すべて左手だけで、やらなければいけないことが不便で、

不幸感を味わいます。

でも、捻挫が治って、右手が自由に使えるようになったら、

「右手が使えることは、こんなにも幸せなことだったのか」

と感謝できます。

では、右手が使えなかった2週間は不幸だったのでしょうか?

いいえ。不幸だと思っていた2週間があった結果として、

それから先ずっと、右手に対する感謝の心が湧わいてくるようになったわけです。

右手が自由に動くことで、

「嬉しい。ありがとう」って思う喜びを1ついただいたわけですから、

捻挫をしていた2週間は不幸でも何でもなかった。

 

この2週間は、罰が当たったとか、ペナルティーが課せられたとか、

不幸があったということではなくて、

この右手に感謝する心、喜びの心を1つ増やすため、

何も起こらないことがどれほど幸せかということをわかるために、

右手を捻挫したのかもしれない。

そういうしくみがわかって、

自分が幸せの中にいることを認識することによって、

災難とは無縁になるようです。

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3 最高の「プレゼント」

中経の文庫<br> 100%幸せな1%の人々

今、目の前に起きている最高の幸せとは、

「淡々とした何も特別ことがない日々、

普通に家族がいて、仕事があって、歩くことができる」ことなのです。

「お金も時間も手間ヒマかけないと幸せになれない」という感性から、

世間一般の人が見たら、

「だから何?」と思われることに楽しみを感じられる、

さらには「何もなくても幸せを感じられる」ように

自分の感性を磨いていくと、自分がいつも楽しくいられます。

 

英語で「現在」を「Present」と言いますが、

現在、普通に淡々と過ぎていくこの瞬間は、

「何も起きていない」のではなく、

宇宙や神様からの最高の「プレゼント」が来ているということ。

ですから「何かが起きてくれたら幸せなんだけど……」

という考え方では、いつまでたっても幸せにはなれないように思います。

4 オザビエルの願い

オザビエル

毎日が、淡々と平凡に過ぎていくことが、実は幸せの本質である。

最高の幸せとは、「淡々とした何も特別ことがない日々、

普通に家族がいて、仕事があって、歩くことができる」こと。

 

いつもそう思っています。

しかし、毎日、様々な問題が起こり、頭を悩ませています。

でも、「死ぬことはない、生きている」と達観し、

日常の幸せに感謝して、日々を過ごしていきたいと思います。

出典 『100%幸せな1%の人々』 小林 正観(こばやし せいかん) 発行所 中経出版 画像はヤフー検索から

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