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徳川綱吉の政治と元禄文化をわかりやすく解説します。
目次
1 綱吉の政治(1680年 ~ 1709年)
5代将軍徳川綱吉(とくがわつなよし)は、学問と文化を重んじる政治(文治政治)をめざした。
徳川綱吉(とくがわつなよし)のイラスト
儒学がすすめられ、とくに身分秩序を重んじた朱子学(しゅしがく)が広く学ばれた。
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慈悲の心をもたせるため、犬などの動物を保護する法律を定めた(1685年~生類憐みの令)。
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ぜいたくな生活や寺の建設で、幕府の財政は苦しくなった。
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貨幣の量を落として量を増やしたが、物価の上昇をまねいた。
2 新井白石の政治(1709年~1716年)
6・7代将軍に仕えた儒学者の新井白石(あらいはくせき)は、文治政治を受け継ぎ、学問に基づく政治を行った。
- 幕府の財政を立て直すため、貨幣の質を元にもどすことで物価を引き下げたり、長崎貿易を制限して金・銀が海外に流出するのを防いだりした。
3 元禄文化(げんろくぶんか)
いつごろ 5代将軍徳川綱吉の元禄年間(1688年―1704年)に栄えたことから
にない手 町人
特色 ① 上方(京都・大阪)中心の文化 ② 町人を中心の文化 ③ 生き生きとした活気のある文化
文学 浮世草子(うきよぞうし)- 井原西鶴は「日本永代蔵」などを書いた。
人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)の脚本- 近松門左衛門は「曽根崎心中」などを書いた。
俳諧(はいかい)- 松尾芭蕉は「奥の細道」を書いた。閑かさや岩にしみ入る蝉の声
美術 装飾画(そうしょくが)- 俵屋宗達は「風神雷神図屏風」を、尾形光琳は「紅白梅図屏風」をえがいた。
浮世絵(うきよえ)- 菱川師宣が「見返り美人図」をえがいた。
芸能 人形浄瑠璃(浄瑠璃に合わせて行われる人形劇のこと)
歌舞伎は庶民の演劇のこと。上方で坂田藤十郎、江戸で市川団十郎が活躍した。
学問 儒学 朱子学-林羅山、新井白石 陽明学-中江藤樹 古学-荻生徂徠
歴史学 徳川光圀が「大日本史」を、新井白石が「読史余論」をあらわした。
さあ、基礎・基本の用語をしっかり覚えましょう。
◎ 基礎・基本の用語
〇 徳川綱吉(とくがわつなよし)= 5代将軍 生類憐みの令→「犬公方」
〇 朱子学(しゅしがく)- 上下関係による礼節を重んじた
〇 元禄文化(げんろくぶんか)-徳川綱吉のころの文化
〇 井原西鶴(いはらさいかく)- 浮世草子(うきよぞうし)
〇 近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)- 人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)
〇 松尾芭蕉(まつおばしょう)- 俳諧(はいかい)
👉徳川綱吉は、野良犬を保護する施設に〇頭の野犬を収容した。〇に当てはまる数字を次から選びなさい。
A 約40 B 約400 C 約4000 D 約40000
☆ ふり返り
◇ ①~⑥に当てはまる言葉を答えなさい。
1 ①の政治(1680年 ~ 1709年)
5代将軍(①)は、学問と文化を重んじる政治(文治政治)をめざした。
儒学がすすめられ、とくに身分秩序を重んじた(②)が広く学ばれた。
3 (③)文化 - 徳川綱吉のころの文化
文学 浮世草子(うきよぞうし)-(④)は「日本永代蔵」などを書いた。
人形浄瑠璃(にんぎょうじょうるり)の脚本-(⑤)は「曽根崎心中」などを書いた。
俳諧(はいかい)-(⑥)は「奥の細道」を書いた。閑かさや岩にしみ入る蝉の声
💮 答え
① 徳川綱吉(とくがわつなよし)
② 朱子学(しゅしがく)
③ 元禄文化(げんろくぶんか)
④ 井原西鶴(いはらさいかく)
⑤ 近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)
⑥ 松尾芭蕉(まつおばしょう)
👉徳川綱吉は、野良犬を保護する施設に〇頭の野犬を収容した。〇に当てはまる数字を次から選びなさい。
A 約40 B 約400 C 約4000 D 約40000
答え D 約40000(頭)
※ 1695年(元禄8)には江戸郊外の中野に16万坪の土地を囲って野犬を収容し、その数は最高時4万2000頭に達し、費用も年間3万6000両、これは江戸や関東の村々の負担となった。 出典 コトバンク「生類憐みの令」 から作成
元禄文化は、上方中心、町人中心、生き生きとした活気のある文化です。これで基礎学力バッチリです。