

今日は、オザビエル(私)が、
「20世紀最高の心理学者」と評される
「ハーバード大学行動心理学の権威」
B・F・スキナー博士の著書
『初めて老人になるあなたへ ハーバード流知的老い方入門』から
実践していきたい 「幸齢者mind」をお届けします。
目次
1 繁殖能力がなくなった個体は、個人の役割がますます重要になってきた。

生物学上では、死は単純明快です。
人間の身体は、大部分が自己再生を繰り返しながら、長期間存続します。
しかし、種の進化においては比較的短い一部分しか担っていません。
種という生物学的視点で考えると、個体に求められる生存期間は、
生殖期とその後の子育てに必要な期間を合わせて、せいぜい数年間です。
その後は、生物学的には無用なのです━━。
でも、その無用な個体が空間を占有し、
繁殖中の個体に必要な物資まで消費しているとなると、
無用どころでは済みません。
人間が進化して、
財産を共有したり、情報を伝達したりするようになったとき、
新たな別の役割が生じてきました。
繁殖能力がなくなった個体は、まだ繁殖能力のある個体を、
サポートしたり、助言したり、教えたり、
その他さまざまな方法で援助することができるようになったのです。
種の進化よりも、
文化の発展において、個人の役割がますます重要になってきました。
しかし、文化の発展による利点が感じられるようになってからの期間は、まだ短く、寿命が延びる遺伝子的変化を起こすほどには至っていません。
2 「死は、必然の終結であり、来る時には必ず来るものなのだ」

身体が消耗すれば、
老年期がたとえ楽しく充実していても、終わりが来ます。
そうなる前に、やっておくべきことがいくつかあります。
正式な遺言証書を作成しておけば、
自分の財産がしかるべき人にちゃんと相続されることがわかって、
安心感が得られるでしょう。
自分の死後、
正常な臓器があれば、提供して、
誰かに移植してもらえるように手続きをしておけば、
あなたの一部分だけでも生き長らえることができます。
そういうことをやり終えたら、
もう死のことは考えないようにするのがいいのではないでしょうか。
フランクリン・ルーズベルトの言葉どおり、
「死についてわれわれが恐れなければならないのは、死を怖れるあまりに人生を楽しめなくなるというその1点だけ」
なのです。
もし死後に、生前の行いによって賞罰の審判が下るのであれば、
そしてどんな審判が下るか確信が持てないのなら、
「人はいずれ死ぬのだということを忘れるな」(汝の死を覚えよ)
という警告は、さほど的外れではないでしょう。
たとえそう警告されて、この世の人生の楽しみが多少減ったとしても、
です。
あるいは逆に、旧約聖書にある
「太陽の下、人間にとって、飲み食いし、楽しむ以上の幸福はない」
というコヘレトの言葉を信じるのなら、
死の問題は必要なときにだけ考えることにして、放っておこうという人もいるかもしれません。
……死は、必然の終結であり、
来る時は必ず来るものなのだ。
シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』より
3 今日の金言 B・F・スキナー博士
死は、必然の終結であり、来る時は必ず来るものなのだ。
シェイクスピア

どんなに健康に注意して生活してみても、死は必ず訪れます。
自分の死後、家族に迷惑をかけることなく、
しっかり後片付けをしておいて、終わりを迎えたいと思います。
それまで、連れ合い、子や孫のサポートをしたり、助言したり、
ざまな方法で援助して、喜んでもらえるようにしたいと思います。