

今日は、オザビエル(私)が、
京セラ・第二電電(現・KDDI)創業者
稲盛 和夫(いなもり かずお)さんの著書
『 働き方 』から学んだ
試練を克服し、運命を好転させてくれる
「パワーフレーズ」をお届けします。
目次
2 西ノ京原町で一番の会社になろう

京セラは、京都市中京区の西ノ京原町という京都のはずれにあった。
ある配電盤メーカーの倉庫を間借りして、従業員28名で創業しました。
当時、私はそのわずかな従業員たちを前に、
「西ノ京原町で一番の会社になろう。
西ノ京原町で一番になったら、中京区で一番の会社になろう。
中京区で一番になったら、次は京都で一番。
京都で一番が実現したら、日本一になろう。
日本一になったら、もちろん世界一だ」
と、ことあるごとに語りかけていました。
ただ実際には、「世界一」はおろか、町内で一番も、そう簡単なことではありませんでした。
狭い町ではありましたが、当時、西ノ京原町には、立派な会社があったのです。
最寄りの駅から京セラへ来る道すがらに、
自動車の整備に使うスパナやレンチをつくっている、
京都機械工具というメーカーがありました。
そのころ、勃興しつつあった自動車産業に歩調を合わせ、
朝から晩まで一日中、機械がうなりを立てているような、
活気のある会社でした。
創業したばかりで、意気に燃えていたばかりか、
努力を怠れば、もう明日はないという危機感もありましたから、
私たちは、夜を日に継いでがんばっていました。
しかし、ようやく夜中に仕事を終えて、その会社の前を通りかかると、
いつも煌々と灯りがつき、多くの人が働いているのです。
京セラよりはるかに大きな会社が、そこまで働いていたわけですから、
「西ノ京原町で一番」になることさえ、並大抵なことではありませんでした。
3 今度は中京区で一番の会社になろう

それでも私は、「西ノ京原町で一番の会社になろう」と従業員に語り続けました。
さらには、「西ノ京原町で一番になったら、今度は中京区で一番の会社になろう」と、より大きな夢を語り続けました。
中京区には、当時すでに京都を代表するメーカーであり、
近年もノーベル賞受賞者を出したことで知られる、
島津製作所がありました。
中京区で一番になるには、
その島津製作所を抜かなければならないのです。
もちろん、確かな目算などあったわけではありません。
当時の京セラの規模や力量から言えば、
まったく身のほど知らずのものでしかありません。
しかし、たとえ身のほど知らずの大きな夢であっても、
気の遠くなるほどの高い目標であっても、
それをしっかりと胸に抱き、まずは眼前に掲げることが大切なのです。
なぜなら、人間には、夢を本当のものにしてしまう、素晴らしい力があるからです。
4 高い目標とは、人間や組織に進歩を促してくれる

京都一、日本一の企業になると思い続けているうちに、
いつの間にか、自分自身でもそれが当たり前のように思えてきました。
また、従業員にとっても同様で、
いつの間にか、とてつのない目標を私と共有し、
果てしない努力を日々重ねてくれました。
そのような日々が、私たち京セラを、
創業当初、誰も予想だにできなかったところまで導いてくれたのです。
高い目標とは、人間や組織に進歩を促してくれる最良のエンジンなのです。
5 オザビエルの願い

今日の学びは、
- 人間には、夢を本当のものにしてしまう、素晴らしい力がある。
- 高い目標とは、人間や組織に進歩を促してくれる最良のエンジン。
さあ、高い目標を設定し、それをしっかりと胸に抱き、果てしない努力を日々重ねていきましょう。
出典 『 働き方 』 稲盛 和夫(いなもり かずお) 発行所 三笠書房 画像はヤフー検索から