379 「高い目標」を掲げ続ける

スポンサーリンク
パワーフレイズ
桜と五重塔が織りなす春の東寺の写真
1 今日のパワーメンターと著書
オザビエル

今日は、オザビエル(私)が、

京セラ・第二電電(現・KDDI)創業者 

稲盛 和夫(いなもり かずお)さんの著書

働き方 』から学んだ

試練を克服し、運命を好転させてくれる

パワーフレーズ」をお届けします。

2 西ノ京原町で一番の会社になろう

働き方―「なぜ働くのか」「いかに働くのか」

京セラは、京都市なかぎょう西にしきょう原町はらまちという京都のはずれにあった。

ある配電盤メーカーの倉庫を間借りして、従業員28名で創業しました。

 

当時、私はそのわずかな従業員たちを前に、

「西ノ京原町で一番の会社になろう。

西ノ京原町で一番になったら、中京区で一番の会社になろう。

中京区で一番になったら、次は京都で一番。

京都で一番が実現したら、日本一になろう。

日本一になったら、もちろん世界一だ」

と、ことあるごとに語りかけていました。

 

ただ実際には、「世界一」はおろか、町内で一番も、そう簡単なことではありませんでした。

 

狭い町ではありましたが、当時、西ノ京原町には、立派な会社があったのです。

 

最寄りの駅から京セラへ来る道すがらに、

自動車の整備に使うスパナやレンチをつくっている、

京都機械工具というメーカーがありました。

そのころ、勃興ぼっこうしつつあった自動車産業に歩調を合わせ、

朝から晩まで一日中、機械がうなりを立てているような、

活気のある会社でした。

 

創業したばかりで、意気に燃えていたばかりか、

努力を怠れば、もう明日はないという危機感もありましたから、

私たちは、夜を日に継いでがんばっていました。

しかし、ようやく夜中に仕事を終えて、その会社の前を通りかかると、

いつも煌々こうこうと灯りがつき、多くの人が働いているのです。

京セラよりはるかに大きな会社が、そこまで働いていたわけですから、

「西ノ京原町で一番」になることさえ、並大抵なことではありませんでした。

 

 

平安神宮の写真

3 今度は中京区で一番の会社になろう

働き方―「なぜ働くのか」「いかに働くのか」

それでも私は、「西ノ京原町で一番の会社になろう」と従業員に語り続けました。

さらには、「西ノ京原町で一番になったら、今度は中京区で一番の会社になろう」と、より大きな夢を語り続けました。

 

中京区には、当時すでに京都を代表するメーカーであり、

近年もノーベル賞受賞者を出したことで知られる、

島津製作所がありました。

中京区で一番になるには、

その島津製作所を抜かなければならないのです。

 

もちろん、確かな目算もくさんなどあったわけではありません。

当時の京セラの規模や力量から言えば、

まったく身のほど知らずのものでしかありません。

 

しかし、たとえ身のほど知らずの大きな夢であっても、

気の遠くなるほどの高い目標であっても、

それをしっかりと胸に抱き、まずは眼前がんぜんに掲げることが大切なのです。

 

なぜなら、人間には、夢を本当のものにしてしまう、素晴らしいがあるからです。

4 高い目標とは、人間や組織に進歩を促してくれる

働き方―「なぜ働くのか」「いかに働くのか」

京都一、日本一の企業になると思い続けているうちに、

いつの間にか、自分自身でもそれが当たり前のように思えてきました。

また、従業員にとっても同様で、

いつの間にか、とてつのない目標を私と共有し、

果てしない努力を日々重ねてくれました。

 

そのような日々が、私たち京セラを、

創業当初、誰も予想だにできなかったところまで導いてくれたのです。

高い目標とは、人間や組織に進歩をうながしてくれる最良のエンジンなのです。

5 オザビエルの願い

オザビエル

今日の学びは、

 

  • 人間には、夢を本当のものにしてしまう、素晴らしいがある
  • 高い目標とは、人間や組織に進歩をうながしてくれる最良のエンジン

さあ、高い目標を設定し、それをしっかりと胸に抱き、果てしない努力を日々重ねていきましょう

出典 『 働き方 』 稲盛 和夫(いなもり かずお) 発行所 三笠書房 画像はヤフー検索から

タイトルとURLをコピーしました