29 朱印船貿易から鎖国へ

中学歴史
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朱印船貿易から鎖国へをわかりやすく解説します。

1 朱印船(しゅいんせん)貿易

徳川家康は、大名や豪商に、東南アジアへの渡航を許可する朱印状をあたえ、盛んに貿易を行った。(朱印船貿易
朱印船は、ルソン(フィリピン)・安南(ベトナム)・シャム(タイ)などをめざし、渡航した。
東南アジアの各地に日本町ができた。
朱印船貿易は、幕府に大きな利益をもたらした。

2 キリスト教の禁止

徳川家康は、主君よりも神の教えに従うキリスト教の教えをおそれた。
1612年 幕領にキリスト教禁止令を出した。← 2代将軍徳川秀忠
1613年 全国にキリスト教禁止令を出した。
1635年 日本人の海外渡航と帰国を禁止した。(朱印船貿易の停止)← 3代将軍徳川家光
1636年 ポルトガル人を出島(長崎)に移した。
1639年 ポルトガル船の来航を禁止した。
1641年 平戸のオランダ商館出島に移した。
貿易の相手国を、オランダと中国、朝鮮に限り、貿易の場もきびしく制限した。
この体制を鎖国(さこく)とよばれた。

3 島原・天草一揆(しまばら・あまくさいっき)

1637年 天草四郎(あまくさしろう)を指導者にして、島原(長崎県)や天草(熊本県)の人々が大規模な一揆を起こした。

天草四郎(あまくさしろう)のイラスト

原因 領主によるきびしい年貢の取り立てキリスト教弾圧に反発した。
結果 幕府は大軍を送り、翌年ようやく平定した。
これを島原・天草一揆という。
→ キリスト教の取りしまりを強化= 絵踏(えぶみ)を行った。
→ 宗門改(しゅうもんあらため)帳をつくらせ、人々が仏教徒であることをに証明させた。

さあ、基礎・基本の用語をしっかり覚えましょう。

◎ 基礎・基本の用語

〇 朱印船貿易(しゅいんせんぼうえき)-  朱印状をあたえられた
〇 日本町(にほんまち)- 東南アジアの各地に 日本人町ともいう
〇 鎖国(さこく)-  キリスト教禁止、貿易の相手国、貿易のもきびしく制限
〇 天草四郎(あまくさしろう) - = 益田時貞(ますだときさだ)一揆の指導者
〇 島原・天草一揆 (しまばら・あまくさいっき)-  1637年 島原の乱ともいう
〇 絵踏(えぶみ)- キリスト・聖母・聖者などの聖画像を踏ませるという制度
👉天草四郎〇〇〇〇だという説がある。〇〇〇〇はだれ次から選びなさい。

A 織田信長 B 石田三成 C 豊臣秀頼 D ザビエル

答えは最後に

 ふり返り

◇ に当てはまる言葉を答えなさい。

1 (①)貿易
徳川家康は、大名や豪商に、東南アジアへの渡航を許可する朱印状をあたえ、盛んに貿易を行った。=(①貿易
東南アジアの各地に(②)町ができた。
2 キリスト教の禁止
徳川秀忠は、明らかに大きなわざわいのきざしであるとしてキリスト教禁止した。
貿易の相手国を、オランダと中国、朝鮮に限り、貿易の場もきびしく制限した。
この体制を(③)とよばれた。
3 (④)一揆
1637年 (⑤)を指導者にして、島原(長崎県)や天草(熊本県)の人々が大規模な一揆を起こした。
これを(④)一揆という。
→ キリスト教の取りしまりを強化→ (⑥)を行った。= キリストなどの聖画像を踏ませるという制度

💮 答え

 朱印船貿易(しゅいんせんぼうえき

 日本(にほんまち) 日本人町

 鎖国(さこく)

 島原・天草一揆(しまばら・あまくさいっき

 天草四郎(あまくさしろう) 益田時貞(ますだときさだ)
⑥ 絵踏(えぶみ)
👉天草四郎〇〇〇〇だという説がある。〇〇〇〇はだれ次から選びなさい。

A 織田信長 B 石田三成 C 豊臣秀頼 D ザビエル

答え  豊臣秀頼  ※ 豊臣秀吉の第二子(後継者)

※ 幕府は、立てこもった約3万7千人に対して、12万人の大軍で、島原・天草一揆を平定した。関ヶ原の戦いの7万4千人、大坂冬の陣の9万人よりもはるかに多い。キリスト教徒や農民の一揆だけではなかったのかもしれない。

徳川家光は世界との関係を大きくかえる決断「鎖国」をします。これで基礎学力バッチリです。

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