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徳川家康と江戸幕府をわかりやすく解説します。
目次
1 江戸幕府の成立
徳川家康(とくがわいえやす)は、三河(愛知県)を治めていた松平広忠の嫡男として、岡崎城で生まれた。 幼名は竹千代(たけちよ)。 ※ 出典 NHK大河ドラマ 「どうする家康」
1548年 今川義元の人質となった。
1586年 豊臣秀吉に臣従した。
1590年 関東に移され、最大の領地を得た。
1598年 豊臣秀吉から、後継者である豊臣秀頼を補佐するための五大老の一人に任命された。
1600年 関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)で石田三成らに勝利した。
1603年 征夷大将軍に任命され、江戸(えど)幕府を開いた。→ 江戸時代
1614~15年 大阪冬の陣、夏の陣で豊臣氏をほろぼした。
1616年 病死した。
2 幕藩体制(ばくはんたいせい)
藩(はん)= 大名(だいみょう)の領地とそれを支配する組織のこと
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親藩(しんぱん) = 徳川家の一族 尾張、紀伊、水戸は「御三家」とよばれた
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譜代(ふだい)大名 = 関ヶ原の戦い以前からの徳川家の家臣
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外様(とざま)大名 = 関ヶ原の戦い以後に従った 江戸から遠い地域に配置した
全国には大名(1万石以上の領地をあたえられた)が配置され、その国の支配を任された。
幕府の政治は、将軍に直属して老中が行い、若年寄が補佐した。ほかにも、寺社奉行・町奉行・勘定奉行の三奉行などの役職が置かれ、譜代大名や旗本から選ばれた。
3 大名・朝廷の統制
1615年 武家諸法度(ぶけしょはっと)を定めた。= 大名が許可なく城を修理すること、結婚することなどを禁じた。
1635年 3代将軍徳川家光(いえみつ)は、参勤交代(さんきんこうたい)を制度として定めた。→ 大名は、1年おきに領地と江戸とを往復することを義務づけた。→ 参勤交代には多額の費用がかかり、大名は幕府に反抗する力を失っていった。
1635年 禁中並公家諸法度を定め、京都所司代を置いて朝廷を監視した。
さあ、基礎・基本の用語をしっかり覚えましょう。
◎ 基礎・基本の用語
〇 徳川家康(とくがわいえやす)= 江戸幕府を開く 初代将軍
〇 関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)- 関ヶ原は岐阜県
〇 武家諸法度(ぶけしょはっと)- 大名を統制する法令
〇 徳川家光(いえみつ)- 3代将軍 3代いえみっつ!
〇 参勤交代(さんきんこうたい)- 1年おきに領地と江戸とを往復
👉徳川家康の干支(何年うまれ)は何? 次から選びなさい。
A 午(うま) B 申(さる) C 寅(とら) D 戌(いぬ)
☆ ふり返り
◇ ①~⑤に当てはまる言葉を答えなさい。1 江戸幕府の成立
(①)は、三河(愛知県)を治めていた松平広忠の嫡男として岡崎城で生まれた。 幼名は竹千代(たけちよ)。
1600年 (②)の戦いで石田三成らに勝利した。
3 大名・朝廷の統制
1615年 (③)を定めた。= 大名が許可なく城を修理すること、結婚することなどを禁じた。
1635年 3代将軍(④)は、(⑤)を制度として定めた。→ 大名は、1年おきに領地と江戸とを往復することを義務づけた。
💮 答え
① 徳川家康(とくがわいえやす)
② 関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)
③ 武家諸法度(ぶけしょはっと)
④ 徳川家光(いえみつ)
⑤ 参勤交代(さんきんこうたい)
👉徳川家康の干支(何年うまれ)は何? 次から選びなさい。
A 午(うま) B 申(さる) C 寅(とら) D 戌(いぬ)
答え C 寅(とら)
ちなみに 午は織田信長 申は豊臣秀吉 戌は大谷翔平選手
「鳴かぬなら鳴くまで待とうほととぎす」徳川家康のがまん強い性格で、基礎学力をバッチリにします。