

今日は、オザビエル(私)が、
「20世紀最高の心理学者」と評される
「ハーバード大学行動心理学の権威」
B・F・スキナー博士の著書
『初めて老人になるあなたへ ハーバード流知的老い方入門』から
実践していきたい 「幸齢者mind」をお届けします。
目次
1 怖いのは死そのものではない

老年期がたとえ不幸でも「生きているだけましだ」とあきらめて、
自分の中で折り合いをつけている人もいます。
シェイクスピアの『尺には尺を』の中にはこんな台詞があります。
老衰や苦痛や貧困や投獄がこの身にふりかかって
つらくてたまらないうんざりするようなこの世の暮らし、
それでもまるで楽園なのだ、
この死の恐怖にくらべれば。
しかしながら、死の恐怖によって、
人生をより楽しめるようになるという考え方には賛成できません。
死にまつわる問題の大部分を占めるのは、
それが予測不可能であることです。
自分の死は、
経験から学ぶことができるようなたぐいのものではありません。
他の誰かが死ぬのを見たことがある人もいるでしょうが、
自分の死となると話は別です。
誰かが死について語っているのを聞いたり、
読んだりしたこともあるかもしれませんが、
人からの情報のほうが確かだというわけでもありません。
2 宗教や哲学が答えを与えてくれている

そうした不確実さを解消しようとさまざまな方法を試みてきたのが、
宗教です。
たとえば、仏教では、
「死は大いなる悟りの境地に至るときである」
としています。
ユダヤ教では、
「死は単なる終焉であり、その後その人が生き残るとしたら、人々の記憶の中で称えられるだけだ」
としています。
さらにキリスト教では、
「死は審判の時であり、来世で課せられる賞罰が決まる」
と考えられています。
それぞれの死生観の違いによって、死への恐怖や不安も異なってきます。
一説では、日本の侍を偉大な勇士にしたのは禅だと言われています。
禅の考え方によって、死に対する恐怖心から完全に解放されていたからだそうです。
キリスト教徒も、来世での自分の存在を信じているのなら、
やはり、死の恐怖から解放されていると言えるかもしれません。
しかし、来世の存在を信じられず、教義の信憑性を疑っているのなら、
恐怖は消えないでしょう。
あなたが信じている宗教や哲学がすでに答えを与えてくれているのなら、
本書の意見は無視していただいて結構です。
それでも、死の恐怖によって人生の楽しみが大きく損なわれてしまうおそれがあるという点に関しては、少し耳を傾けていただきたいと思います。
3 今日の金言 B・F・スキナー博士
目の前の生活で注意を向けなければならないことが、たくさんあるほど、
死を意識することは少なくてすみます。

以前にも、紹介しましたが、
明石家さんまさんの座右の銘で、色紙にもよく記していたという言葉が、「生きてるだけで丸儲け」です。
禅には、「本来無一物(ほんらいむいちもつ)」という言葉があるそうです。
本当に心豊かな人間は、どんなに小さなことに対しても感謝の気持ちを覚える━━。
さんまさんの言葉は、まさに禅的な雰囲気を帯びており、50年近く続く人気の秘密なのかもしれません。
「生きているだけで幸せ」と感謝し、目の前の生活に注意を向け、
死への準備も進めながら、毎日の生活を楽しみたいを思います。