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鎌倉幕府の成立と執権政治をわかりやすく解説します。
目次
1 鎌倉幕府の成立
1185年 後白河法皇は、源義経に源頼朝の討伐を命じた。
1185年 源頼朝(みなもとのよりとも)は、源義経をとらえるためとして、国ごとに守護(しゅご)を、荘園ごとに地頭(じとう)を置いた。
1189年 源義経を平泉(岩手県)で奥州藤原氏に討たせた。
1192年 源頼朝は、朝廷から征夷大将軍に任命された。
源頼朝(みなもとのよりとも)のイラスト
源頼朝は、鎌倉(神奈川県)に武家政治の拠点を置いたので、これを鎌倉幕府という。これ以後の約150年間を鎌倉時代という。
2 執権(しっけん)政治
源頼朝の死後は、頼朝の妻(=北条政子)の父の北条時政が政治の実権をにぎった。→ ※「鎌倉殿の13人」
北条氏は、将軍を補佐する執権(しっけん)として、幕府の政治を動かした。これを執権政治という。
第3代将軍源実朝が暗殺されると、幕府は動揺を見せた。
1221(承久3)年 後鳥羽(ごとば)上皇は、幕府(執権は2代義時)をたおそうと兵をあげた。しかし、北条氏の率いる幕府軍に敗れ、隠岐(島根県)に流された。= 承久の乱(じょうきゅうのらん)
幕府は、京都に六波羅探題(ろくはらたんだい)を置いて、朝廷を監視した。
1232(貞永元)年 3代執権北条泰時(やすとき)は、武家社会のおきてや裁判の基準をまとめた御成敗式目(ごせいばいしきもく)を制定した。
さあ、基礎・基本の用語をしっかり覚えましょう。
◎ 基礎・基本の用語
〇 源頼朝(みなもとのよりとも)→ 鎌倉幕府
〇 執権(しっけん)→ 執権政治
〇 承久(じょうきゅう)の乱 - 後鳥羽(ごとば)上皇
〇 六波羅探題(ろくはらたんだい)
〇 御成敗式目(ごせいばいしきもく)- 北条泰時が制定
👉第3代将軍源実朝(さねとも)を暗殺したのはだれ?
☆ ふり返り
◇ ①~⑤に当てはまる言葉を答えなさい。
1 鎌倉幕府の成立
1185年 (①)は、源義経をとらえるためとして、国ごとに守護(しゅご)を、荘園ごとに地頭(じとう)を置いた。
1192年 ①は、朝廷から征夷大将軍に任命された。
2 執権(しっけん)政治
北条氏は、将軍を補佐する(②)として、幕府の政治を動かした。これを②政治という。
1221(承久3)年 後鳥羽(ごとば)上皇は、幕府(執権は2代義時)をたおそうと兵をあげた。しかし、北条氏の率いる幕府軍に敗れ、隠岐(島根県)に流された。=(③)の乱
幕府は、京都に(④)を置いて、朝廷を監視した。
1232(貞永元)年 3代執権北条泰時(やすとき)は、武家社会のおきてや裁判の基準をまとめた(⑤)を制定した。
💮 答え
① 源頼朝(みなもとのよりとも)[1147~1199年]
② 執権(しっけん)
③ 承久(じょうきゅう)の乱
④ 六波羅探題(ろくはらたんだい)
⑤ 御成敗式目(ごせいばいしきもく)= 貞永式目
👉第3代将軍源実朝を暗殺したのはだれ?
答え 兄の2代将軍源頼家の子公暁(くぎょう、こうぎょう)
源頼朝が開いた鎌倉幕府。源氏の将軍は3代でとだえ、北条氏が執権として政治の実権を握りました。これで基礎学力バッチリです。