14 鎌倉幕府の成立と執権政治

中学歴史
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鎌倉幕府の成立と執権政治をわかりやすく解説します。

1 鎌倉幕府の成立

1185年 後白河法皇は、源義経源頼朝の討伐を命じた。
1185年 源頼朝(みなもとのよりとも)は、源義経をとらえるためとして、国ごとに守護(しゅご)を、荘園ごとに地頭(じとう)を置いた。
1189年 源義経を平泉(岩手県)で奥州藤原氏に討たせた。
1192年 源頼朝は、朝廷から征夷大将軍に任命された。

源頼朝(みなもとのよりとも)のイラスト

源頼朝は、鎌倉(神奈川県)に武家政治の拠点を置いたので、これを鎌倉幕府という。これ以後の約150年間を鎌倉時代という。

2 執権(しっけん)政治

源頼朝の死後は、頼朝(=北条政子)の父の北条時政が政治の実権をにぎった。→ ※鎌倉殿の13人
北条氏は、将軍を補佐する執権(しっけん)として、幕府の政治を動かした。これを執権政治という。
第3代将軍源実朝が暗殺されると、幕府は動揺を見せた。
1221(承久3)年 後鳥羽(ごとば)上皇は、幕府(執権は2代義時)をたおそうと兵をあげた。しかし、北条氏の率いる幕府軍に敗れ、隠岐(島根県)に流された。= 承久の乱(じょうきゅうのらん)
幕府は、京都六波羅探題(ろくはらたんだい)を置いて、朝廷を監視した。
1232(貞永元)年 3代執権北条泰時(やすとき)は、武家社会のおきてや裁判の基準をまとめた御成敗式目(ごせいばいしきもく)を制定した。

さあ、基礎・基本の用語をしっかり覚えましょう。

◎ 基礎・基本の用語

〇 源頼朝(みなもとのよりとも)→ 鎌倉幕府

〇 執権(しっけん) 執権政治

〇 承久(じょうきゅう)の乱  後鳥羽(ごとば)上皇 

〇 六波羅探題(ろくはらたんだい)

〇 御成敗式目(ごせいばいしきもく) 北条泰時が制定

👉第3代将軍源実朝(さねとも)を暗殺したのはだれ

答えは最後に

 ふり返り

◇ に当てはまる言葉を答えなさい。

1 鎌倉幕府の成立
1185年 (①)は、源義経をとらえるためとして、国ごとに守護(しゅご)を、荘園ごとに地頭(じとう)を置いた。
1192年 は、朝廷から征夷大将軍に任命された。
2 執権(しっけん)政治
北条氏は、将軍を補佐する(②)として、幕府の政治を動かした。これを②政治という。
1221(承久3)年 後鳥羽(ごとば)上皇は、幕府(執権は2代義時)をたおそうと兵をあげた。しかし、北条氏の率いる幕府軍に敗れ、隠岐(島根県)に流された。=(③)の乱
幕府は、京都(④)を置いて、朝廷を監視した
1232(貞永元)年 3代執権北条泰時(やすとき)は、武家社会のおきてや裁判の基準をまとめた(⑤)を制定した。

💮 答え

 源頼朝(みなもとのよりとも)[1147~1199年]

 執権(しっけん)

 承久(じょうきゅう)の乱  

 六波羅探題(ろくはらたんだい)

 御成敗式目(ごせいばいしきもく)=  貞永式目

👉第3代将軍源実朝を暗殺したのはだれ

答え 兄の2代将軍源頼家の子公暁(くぎょう、こうぎょう)

源頼朝が開いた鎌倉幕府源氏の将軍は3代でとだえ、北条氏執権として政治の実権を握りました。これで基礎学力バッチリです。

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